どうもM2です。
なぜ卓球が楽しいと思うか?を生徒さん達に質問をしていた時期があります。
理由は、私自身がそんなことを考えたこが無く、それが分かればより良い指導やサービスが提供できるんじゃないかと思ったからです。
多くの会員を集めたいと思ったので、それを知っていれば仕事としての成功率は高くなるはず。
「こうやったら楽しい。ああやったら喜ぶ」だったらこういうレッスンにしよう。こう考えていました。
本質的ではなかった「卓球が楽しい!!」
でも、こちらが考える「こうすれば楽しい」は、人によって違ったり、継続すると飽きるだけだと気が付きました。
例えば「スマッシュはストレス発散になる」。
未経験者にスマッシュを打たせることをしたのですが、人によっては「できなくて」悔しい気持ちにさせてしまう。
レッスンの締めに「全員で協力して的に何球当たるかゲーム」。
すぐにマンネリ化してきて微妙な空気になるなど。
私が考えるものは、うわべのもので本質的ではないなと感じていました。
「なぜ卓球すると楽しいんですか?」
沢山の方に聞いて分かったことがあります。ほぼ全員が「何でだろう?」って一瞬考えるのです。そうです、、、。
皆さんも自身も分かっていないのです(笑)
それでも、悩んだ後に次のようなことを回答されます。
「ラリーが続くようになった時かなぁ」
「スマッシュがバシっと決まったら気持ちいい!」
「体動かすとストレス発散になるしね」
「汗がかけると気持ちいいから、、、かな??」
一見バラバラに感じるこれらの「卓球が楽しい理由」。
私は、この難題について考えると、卓球だけではなくて人がスポーツを楽しむ本質的な理由が隠れているように思います。
卓球が楽しい3つの理由
私は、卓球を楽しいと感じるのには、大きく3つの理由があると考えています。
1つめは、技術習得すること。2つめ、本能的な快楽。3つめ、競い合うこと。
技術習得するは、「できないことが、できるようになる」ということです。日常の生活で、例えば風呂に入る、歯磨きする、物をとる、家事をする、などなど。日常生活でも体を動かしています。人間は「できない」というストレスから「できるようになったら嬉しいな」という欲求があります。
健常者であれば、日常生活の上記のような行動(運動)で「これは難しいから、できない」と感じることはほぼ無いと思います。
しかし、スポーツでは「はじめのうちはできないことだらけ」です。
卓球を始めたばかりで、運動が苦手と思っている方であれば、ボールをラケットにのせて10秒落とさないもできません。
しかし、継続すると少しずつ「できること」が増えていく。毎週、毎週「できるようになってきた」の連続です。
だから、楽しい。
しかも世界チャンピオンですら、「できるようになりたい」に終わりが無い。これが誰にとっても「技術を習得する」による卓球を楽しいと感じる1つめの理由です。
本能的な快楽は、人は体を動かしていること自体に本能的な快楽を感じるということです。
私は、悩(体を動かそうとしている自分)と体(脳の指令を受けて動く自分)が違うものだと強く感じています。
目で見えている生徒さんAは一人ではないのです。Aさんの「悩」が一人。とAさんの「体」が一人。もちろん、これはイメージとしての言い方ですが、例えば、卓球上級者に、利き手と逆ですぐに卓球させて、全く同じレベルでプレーはできないはずです。
そんなの当たり前じゃないかと思われるかもしれません。
でも、おかしいと思いませんか?
その人の悩は、卓球のやり方も、タイミングも、ラケットの動かし方も完全に把握しているはずなのに、その人の体であるはずなのに、その体を思い通りに動かすことができないのです。
ようするに、指示を出す「悩」が一人と、言うことをきけない「体」の一人が存在していることを、自分自身でも感じられるということです。
もし、利き手ではなく卓球をし続けてくださいと言われたら嫌ですよね。
自分(悩)が言うことを聞かない体と一緒に過ごすのはストレスになると想像できるからです。
逆に言えば、悩が「こうしたい」と思ったら、すぐ言うことを聞いてくれる体であること自体が小さな快楽の連続で、さらに、複雑で普段の生活ではやらないことの方が、より「思い通りにうごかせている」を本能的(無意識)に感じているのではないかと考えています。
私は「運動すると悩から〇〇という物質がでてきて幸福感が増す」などの難しいことは言えません。ただ、そのような情報は、本やインターネットでいくらでも探すことができます。科学的に証明されていることは間違いないのですが、そんな難しい話でなくても誰にでも理解できるのではないでしょうか?
競い合うことは、言葉通りですが相手や自分自身に勝ることが楽しいと感じるということです。
日々レッスンをしていて、皆さんが一番楽しそうにしているのは確実に最後のゲーム形式です。
試合だではなく、例えばチームになって的当て競争をしたり、どちらのペアがラリーを多く続けるかといった遊びのような競い合いも含みます。
想定していない珍プレー、偶然入ったスーパープレーに大きな拍手で盛り上がったり。
コントや漫才などお笑いと同じで、思ってもいない「オチ」があるから楽しい。
競い合いには、その要素があるのではないかと思います。
卓球は、相手のコートに自分が打った球を入れにくスポーツです。それは、1球、1球ごとに「できるか、できないか分からない『オチ』」という結果に、自分自身が競い合っている。
温泉卓球や商業施設で卓球をしている方を見ていて、つまらなそうにしたり苦しそうにしている人を見たことがありますか?皆とても笑顔ではしゃいでいます。
その殆どは、点数を数えてゲームをしたり(ルールはめちゃくちゃ)、点数を数えていなかったとしても、うまく打ち返せたら飛び跳ねて喜んだり、結局のところ競い合って楽しんでいます。
卓球が楽しいと思える理由は、脳科学の世界まで入りこめば、数限りなくでてきてしまうでしょうが、誰でもわかりやすく実感できる答えとしては、この3つがあるのだと考えています。
ちなみに、多くある答えに「汗がかけるから」「スマッシュが気持ちい」があります。
確かにその通りなんですが、炎天下で立たされていたってでてくるじとじとの汗は不快ですし、スマッシュがストレス発散といっても、紐でつったボールを意味もなく強打し続けても、面白くもなんともありません。
直感的に感じる回答としては合っていると思いますが、どちらも本質的な楽しさのうえにある結果なのではないかと感じています。
卓球を習うことの価値
スポーツといのは非日常であり、できないことをできるようにしていくことの連続。特に、道具を使うスポーツの場合は、そのことを強く感じることができます。
スケートの靴やスキーの板などの道具を使えば、素足ではできないスピードが出せる。
卓球も、ラケットがあるから投げるよりも強くボールが打てる。ラバーがあるから手では生み出せない回転を操れる。まさに、自分の体のできる能力を超える力で「できる」を実感する喜びがあります。
こう考えていくと、卓球をするということは根本的に誰にとっても楽しいことで、習っているから楽しいわけでは無いです。
では、なぜお金を払ってもまで習いたいと思うののか?
その最も大きな理由が「できるようになること」ことを保証してもらえるからです。
ネットや本で研究して、合っているか間違っているか不安な中で自問自動して時間を費やすよりも、習ったほうが効率が良いからです。
だかこそ、私たちのようにお金を頂戴して指導する立場の者には、非日常を感じられるほど「できること」を増やしてあげる責任があるのだと思っています。